おくやみ:広田順氏

元プロ野球巨人捕手
2003年 9月10日 没 享年81 老衰により死去

略歴

広田 順(ひろた じゅん、1925年8月3日 - 2003年9月10日)は、アメリカハワイ準州オアフ島ホノルル出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督。 来歴・人物 マッキンレー高校からハワイ大学を経て、ノンプロチーム「ハワイ朝日軍」で捕手を務めていたが、同じくハワイ生まれの日系二世で前年度に来日していた与那嶺要の「カーリー(広田のこと)なら大丈夫」との太鼓判もあり、1952年に来日し読売ジャイアンツに入団。1年目から79試合にマスクを被って楠協郎を押しのけて正捕手となり、同年オールスターゲームにも出場する。翌1953年から1955年まで3年連続でベストナインを受賞するとともに、新人から4年連続でオールスターにも選出された。しかし、1954年頃から若い藤尾茂の台頭により徐々に出場試合が減り始め、1955年の日本シリーズで藤尾が大活躍して以降レギュラーを譲る形となり、1956年限りで引退した。捕手として423試合出場は日本プロ野球の外国人選手として最多である。 引退後は近鉄バファローズでスカウトや一軍コーチ(1971年, 1973年)、二軍監督(1972年)を歴任。Wikipediaより

訃報

 広田順氏(ひろた・じゅん=プロ野球元巨人捕手)03年9月10日、米ハワイ州ホノルル郊外の老人ホームで死去、81歳。遺族によると、死因は老衰。ホノルル出身。52年に巨人入団。5年間プレーし、3度の日本一に貢献。53年から3年連続でベストナイン。引退後、近鉄のスカウトや2軍監督を務めた。

広田順氏(元プロ野球巨人捕手)が老衰のため死去より