おくやみ:中川三郎氏

舞踊家
2003年 10月24日 没 享年87 脳出血により死去

略歴

中川 三郎(なかがわ さぶろう、大正5年(1916年)3月9日 - 平成15年(2003年)10月24日)は、「社交ダンスの父」と呼ばれる日本におけるモダンダンスの創始者。日本タップダンス界の祖。洋舞家。ニューヨーク市立大学シティカレッジ卒。大阪市出身。 「擬装の麗人」と呼ばれ、昭和の日本の興行界に一大センセーションを巻き起こした。長女は女優・タップダンサーの中川弘子 1930年日本歌劇の創始者である伊庭孝に師事、楽劇理論を学ぶ。15歳で伊庭の主宰する歌劇団で巡業、初舞台を踏む。 学生時代にダンスホールに通う。 慶應義塾大学経済学部予科を経て17歳で単身渡米、ニューヨーク市立大学シティカレッジ(CCNY)卒業。日本人で初めてタップダンサーとしてブロードウェイ・ミュージカルの劇場に出演、成功を修める。 1933年RCAチェーン劇場にマジソン・ダンサーとして出演。ブロードウェイ・ミュージカル「クォーター・ツ・ナイン」をウィンター・ガーデン劇場で、シンフォニック・タップにアレンジ、ソロ出演。Wikipediaより

訃報

 日本のタップダンスの草分けで、社交ダンスの普及にも尽力した舞踊家中川三郎(なかがわ・さぶろう)氏が03年10月24日午後0時50分、脳出血のため東京都大田区の池上総合病院で死去した。87歳。

中川三郎氏(舞踊家)が脳出血のため死去より