おくやみ:西河克己氏

日本の映画監督
2010年 4月6日 没 享年92 肺炎により死去

略歴

西河 克己(にしかわ かつみ、1918年7月1日 - 2010年4月6日)は、日本の映画監督。鳥取県出身。 西河が生まれたのは鳥取県東部の智頭町土師地区。父親の就職で一家が東京へ移るまで、4年余りをこの地で過ごした。小説家志望であったが、次善の途として映画監督を志し、松竹大船撮影所に監督助手として入社。当時は日本映画の第1期黄金時代ともいえる時代だった。 大学を卒業したのが日中戦争真っ只中であったため、松竹入社後1年を経ずして召集(結局2度応召した)されて旧満州やビルマへ出征、捕虜収容所生活も経験した。戦後復員して昭和21年(1946年)復職。原研吉、渋谷実、中村登らの名匠に師事し、昭和27年(1952年)助監督待遇のまま『伊豆の艶歌師』(主演:佐田啓二)を初監督。2本立て映画の1本、いわゆるシスター映画であった。典型的な「大船映画」を数本撮ったあと、昭和29年(1954年)の日活映画製作再開と同時に、日活と監督契約した。山本有三原作による社会派メロドラマ『生きとし生けるもの』(主演:山村聰)を第1作に、日活での初期作としては『東京の人』(主演:月丘夢路)、『美しい庵主さん』(主演:小林旭)などがあるが、当然のように「大船色」が濃く、「日活っぽい」『俺の故郷は大西部』(主演:和田浩治、1960年)は西河作品としては逆に異色である。Wikipediaより

訃報

 「伊豆の踊子」や「エデンの海」など青春映画で手腕を見せた映画監督、西河克己(にしかわ・かつみ)さんが6日午前4時40分、肺炎のため死去した。91歳。自宅は東京都世田谷区赤堤3の2の8。葬儀・告別式は近親者のみで済ませた。後日、お別れの会を開く予定。喪主は長女、ゆあみさん。 昭和14年、日大芸術科を卒業し、松竹大船撮影所に入社。27年に「伊豆の艶歌師」で監督デビューを果たした。 29年、日活に………

西河克己氏(映画監督)4.7 より