おくやみ:豊原国周氏

幕末から明治にかけての浮世絵師
1970年 1月1日 没 享年65

略歴

豊原 国周(とよはら くにちか、天保6年6月5日〈1835年6月30日〉 - 明治33年〈1900年〉7月1日)は、幕末から明治にかけての浮世絵師。 豊原周信及び歌川国貞(三代目歌川豊国)の門人。本姓は荒川氏、俗称は八十八。江戸京橋五郎兵衛町の湯屋(一説には江戸京橋三十間堀七丁目の家主)大島屋九十郎の次男として生まれる。母は同心の荒川三之丞の娘八重。画号は国周の他、一鶯斎、豊春楼、花蝶斎、花蝶楼、華蝶斎、華蝶楼、一桃、歌清舎、曹玄子、米翁、鶯斎。画姓を豊原としたのは、師の豊原周信への恩を忘れぬためだといわれる。幼い頃はかなりやんちゃで近所から苦情が来ていたという。しかし、びら屋で祭礼の際に用いられる地口行灯(もとの言葉を別のものに仕立てて楽しむ言語遊戯、つまりは語呂合わせである地口を、絵で行灯に描いてある。祭礼時に町の辻に飾ることが流行し、その絵の多くが浮世絵師によって描かれた)の制作の手伝いをするなど、画才を示していた。兄の長吉が南伝馬町に押絵屋を開業したことがきっかけで、長谷川派の豊原周信に師事し役者似顔を学び、羽子板押絵の原図を制作した(一説には羽子板師の隣春に就いたともいわれる)。Wikipediaより