おくやみ:桃中軒雲右衛門氏
明治末期に活躍した浪曲師
1916年 11月7日 没 享年42 肺結核により死去
略歴
桃中軒 雲右衛門(とうちゅうけん くもえもん、1873年 - 1916年11月7日)は、明治時代後期の浪花節 浪曲師。本名は岡本峰吉。茨城県出身。父は地方回りの祭文語りをしていた吉川繁吉。
1903年(明治36年)辛亥革命の協力者宮崎滔天(みやざきとうてん)や超国家主義団体玄洋社の後援で「義士伝」を完成させる。武士道鼓吹を旗印に掲げ、1907年(明治40年)には大阪中座や東京本郷座で大入りをとった。息の詰まった豪快な語り口が、それまで寄席芸であった浪曲を劇場への進出を可能にし、浪曲そのものも社会の各階級へ急速に浸透していった。晩年は病気となり、極貧のうちになくなった。
Wikipediaより
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『日露戦争時代のある医学徒の日記』小野寺隆太 著、弦書房 ... - 読書日記より
... さらに、電力の鬼といわれた松永安左衛門、水平社の松本治一郎、浪花節の桃中軒雲右衛門、三菱重工の郷古潔、海軍大尉時代の米内光政、新聞人の福本日南、全国の帝大総長を総なめにした山川健次郎、物理学の田中館愛橘、八木アンテナの八木秀次、野口英世 ...
... 大石内蔵助良雄銅像 この銅像は、浪曲の宗家・桃中軒雲右衛門の発願により 鋳造されたもので、所有が転々としていたが、 泉岳寺に寄進され、大正10年12月14日に除幕した。 内蔵助が当時の風俗である元禄羽織を身につけ ...
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端座する名人の背は伸び撥踊る、声色許多で間を走る(2) - Across the Street Soundsより
... 桃中軒雲右衛門以来、閉ざされていた演劇の殿堂・歌舞伎座で連続して独演会を開催する。しかし夫君との感情的な行き違いから太平洋戦争中に引退が取り沙汰され、この昭和二十二年三月に、雲月を返上し本姓の伊丹にもどり、秀子と改め、再出発した。 ...
... 4 :桃中軒雲右衛門の孫である。 *5 :『 世界 の 怪奇 スリラー 』『 世界 の モンスター 』などと共に大事に持っていたのだが、 高校生 の頃に捨てられてしまった。「ズー」の絵が 記憶 にないのが残念だ。 ...
... 同じく武蔵屋一門の浪曲師や、桃中軒雲右衛門がまだ吉川小繁と名乗っていた頃の師匠・三河屋梅車などの名が連なっていて、彼らが「賢誉聲應武蔵居士」という立派な戒名をつけ、お墓を建てたらしいのです。 桃中軒雲右衛門が、東京へ凱旋して、本郷座を ...
... 乞食の階級としては最下位の「カドヅケ」から育った浪花節にしても、明治31年の桃中軒雲右衛門の登場以前は全くの河原乞食扱い。この系譜は 三波春夫 にまでつながる。 1911(明治44)年に開場した帝国劇場では 三浦環 が 歌舞伎役者と同じ舞台を踏ん ...
闘病日記 12月9日 パソコンを梱包する。 - 3L みなりん日記より
... 1911年のこの日、浪花節の桃中軒雲右衛門が日本初のレコード吹き込み。 1933年のこの日、三和銀行が発足。 1941年のこの日、NHKが全国同一周波数放送を実施。語学講座の放送を中止。 ...
... 勝利 出来事 ・ 浪花節の桃中軒雲右衛門が日本初のレコード吹き込み(1911)/ 王政復古の大号令(1968)/ 初のレコード吹き込みで浪花節を 録音(1911)/三木武夫内閣 成立(1974)/都電銀座線な ど廃止(1967)/営団地下鉄 半蔵門線開業(1982)/15歳 ...











