おくやみ:村山槐多氏

大正期の洋画家
1919年 2月20日 没 享年23 肺炎により死去

略歴

村山 槐多(むらやま かいた、1896年9月15日 - 1919年2月20日)は、日本の洋画家。 生涯 愛知県額田郡岡崎町(現:岡崎市)に父・村山谷助と母・たまの長男として生まれた。母たまは結婚前に森鴎外家で女中奉公をしており、その縁で鴎外が名付け親となった。10代からボードレールやランボーに読み耽り、詩作もよくした。その早熟さ、デカダン的な生活、貧しさや失恋による心の痛みなどにより、結核性肺炎を患っていた。また、22歳で夭折した点まで同時代の関根正二とよく比較されるが、2人の作風はまったく異なっている。画家自身のほとばしる情念や不安を反映した槐多の人物像は、器用ではないが、一度見たら忘れられない強烈な印象を残すものである。画家の山本鼎は従兄。 1919年2月、そのころ猛威を振るっていたスペイン風邪にかかり、寝込んだ。2月19日夜9時ごろ、みぞれまじりの嵐のなかを外に飛び出し、午前2時ごろ畑のなかに倒れているのを発見された。取り押さえられた槐多は失恋した女性の名など、しきりにうわごとを言っていたが、2時30分に息をひきとった。Wikipediaより