おくやみ:神楽坂はん子氏

芸者歌手
1995年 6月10日 没 享年64 肝臓がんにより死去

略歴

神楽坂 はん子(かぐらざか はんこ、本名・鈴木 玉子、1931年3月24日 ‐ 1995年6月10日)は昭和期の芸者歌手。 東京都出身。両親の反対を押し切り、神楽坂で芸者をしていたところに作曲家の古賀政男と作詞家の西条八十がやってきて(万城目正の紹介)、「アリラン」を披露したところ、古賀に気に入られ、又「私、芸術家って大嫌い」と発言するなど、その竹を割ったような性格がまた気に入られ、コロムビアへスカウトされた。 1952年(昭和27年)に古賀作品の「こんな私じゃなかったに」でデビューする。同年の、江利チエミの「テネシー・ワルツ」に対抗して作られた「ゲイシャ・ワルツ」が大ヒット。一躍スター歌手となる。その後も「見ないで頂戴お月様」「こんなベッピン見たことない」などのヒット曲を放つ。ビクターからは神楽坂浮子という歌手も登場するほどの人気ぶりだったが、1955年(昭和30年)に身許引受人の意向で引退。公には結婚のための引退だと報道された。 1968年(昭和43年)はん子は急遽、歌手に復帰する。復帰に際し、はん子はそれまで暮らしていた住まいも引っ越し、関係者に対して「今までの13年間の女の生活を燃やしてきました」と語ったという。Wikipediaより